昭和60年前後に、“洋楽作品を日本語でカバーする流行”がありました。
こう表現すると、昭和30年代と同じ現象なので、「流行って周期的に繰り返すのかな?」と考えたりもします。
しかし実態は異なるように感じます。昭和60年代に日本語カバーされた作品は、2つの特徴があります。
・オリジナルの楽曲がアメリカではなく、ヨーロッパの作品が多かった事
・女性ボーカルの作品が多くヒットした事
「ダンシング・ヒーロー」は、この2つの特徴を備えたヒット曲です。昭和60年11月に発売され、翌年の1月から2月にかけてヒットしました。
ヒットから30年ほど経った平成29年に、登美丘高校ダンス部さんのパフォーマンスが話題となり、「ダンシング・ヒーロー」は再び脚光を浴びましたので、若い世代の方でも、ご存知の方がおられるのではないかと思います。
平成後期は、CDではなくネット配信での売上も増加した時代です。「ダンシング・ヒーロー」は平成30年1月時点で、一般財団法人日本レコード協会さんの有料音楽配信認定でゴールド認定(10万ダウンロードを達成した作品として認定)されました。
5年前に配信された昭和の作品が、認定を受ける規模のダウンロードを記録するのは珍しいです。
昭和60年前後の日本語カバーブームは、ユーロ・ビートと呼ばれるヨーロッパのヒット曲を題材にする事が多い流行でした。
非英語圏の国が多い地域なので、アメリカのヒット曲とは異なる文化を感じます。言語の違いによる文化の差なのか、ヨーロッパの作品は、歌詞の意味が分からなくとも、作品を聴いて良い曲だと感じさせる作品が多いです。
テクニックではなく、聴き手に伝わりやすいメロディや和音進行を尊重する文化が根底にあるように感じます。
結果として、元ネタが欧州の楽曲を日本語カバーした作品が多くヒットしましたが、もしかしたら、レコード会社が日本語カバー盤を企画する際に重視したのは、“原曲が有名かどうかではなく、単純に聴きやすいかどうか?”だったのかも知れません。
ユーロ・ビートの流行を支えたのは、シンセサイザーの作り出す音だと考えます。
昭和40年代に誕生したシンセサイザーは、従来の楽器では表現できない音を機械的に生み出すことができ、ディスコブームを支えた楽器と認識しています。この時代では、温かみを感じる重低音が印象に残る作品が多いです。
しかし昭和50年代になると、シンセサイザーが生み出す音は、鋭く高い音に変化しているように感じます。
音に温度はありませんが、聴いた印象では、冷たさを感じる金属音のようなサウンドが支持されるようになりました。
そして、リズム重視からテンポ重視となり、作品の加速度が増したようにも感じます。
テンポが速くてクールな印象の作品が増えたという事ですが、この雰囲気を損なわない歌声は、どちらかと言うと、男性よりも高い声が出せる女性の歌声だったのかな?と感じます。
バンドプロデューサーの分析では、「ダンシング・ヒーロー」はF#マイナー(嬰へ短調)。今聴いても古さを感じない作品です。
曲情報
発売元:ビクター音楽産業株式会社
品番:SV-9069
A面
「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」
B面
「ぜんまいじかけの水曜日」
発売ご案内(12/16発売)
MOVING NOW/荻野目洋子
上海公演、ニューヨーク・ロケ、渋谷公会堂ライブなどを収録したミュージック・ビデオ!
荻野目洋子ファンクラブ
(YOKO HELLO)
参考資料
「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」レコードジャケット
『オリコンチャート・ブック アーティスト編全シングル作品』オリコン
「you大樹」オリコン
「バンドプロデューサー5」
「一般社団法人 日本レコード協会 有料音楽配信認定」https://www.riaj.or.jp/f/data/cert/hs.html