ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。誤字はちょっとずつ修正します。

「黒人オルフェ」ヘルムート・ツァハリアスと魔法のヴァイオリン(昭和35年)

流行時期(いつ流行った?)

 ヘルムート・ツァハリアスと魔法のヴァイオリンさんの「黒人オルフェ」は、昭和35年(1960年)にヒットしました。

 

 7月に公開された同名映画の主題曲です。レコード会社各社から発売されていますが、当時最も人気を集めたのはポリドール盤のようです。

 

 『ダンスと音楽』の月間ランキングによると、7、8月にヒットしています。

 

<『ダンスと音楽』月間ランキング推移>

年月 ポリドール フィリップス ロンドン エンジェル
昭和35年07月 3位 13位 20位 -
昭和35年08月 4位 12位 16位 -
昭和35年09月 8位 圏外 圏外 19位

 

 


www.youtube.com

注)ライセンス UMG(Polydor の代理); LatinAutorPerf, Warner Chappell, Wise Music Group, Abramus Digital, LatinAutor, LatinAutor - PeerMusic, UNIAO BRASILEIRA DE EDITORAS DE MUSICA - UBEM、その他 7 件の楽曲著作権管理団体

 

 

 

なぜポリドール盤がヒットした?

 他社の盤は映画と同名のタイトルになっているのに、ポリドール盤だけが「黒人オルフェ」となっています。

 

 それはポリドール盤が、『黒いオルフェ』が日本で公開される前にレコード化していたからだと思われます。

 

 私が持っているポリドール盤は映画公開後に差し替えられたジャケットのようで、"東和映画提供「黒いオルフェ」主題曲"と印字されていますが、上動画のサムネイルが初版ジャケットと思われます。

 

 個人的な好みですが、この曲はボーカルのほうが印象に残る作品と思います。バイオリンの演奏も良いと思いますが、この曲を想い出すときは映画で歌われたポルトガル語の男性歌唱で脳内再生されます。


 本来なら歌唱盤がヒットするはずだっと思う作品です。ラジオ番組のリクエストを元に執筆された『ヒットパレード黄金時代1955-1970』では、"サウンドトラック盤がヒットした"と記載されていて納得です。

 

 

 おそらく『黒いオルフェ』公開後、すぐにレコードを増産できたからポリドール盤が最もヒットしたのだろうと想像しています。

 

 1962年にヒットした同名映画主題曲「禁じられた遊び」に似たレコードの売れ方と感じます。

 

 

名曲に埋もれてしまった?

 「黒いオルフェ」が、当時発売されたレコードで演奏盤や歌唱盤に分かれてしまったりで、作品の価値がブレてしまった印象があります。

 

 後世であまり有名ではない理由の一つと思いますが、さらに残念な事に「黒いオルフェ」がヒットした時期は、「死ぬほど愛して」「夏の日の恋」「太陽がいっぱい」といった映画主題曲が大ヒットしています。

 

 3曲とも現在でも映画音楽スタンダード・ナンバーになっている作品で、今後も継がれるだろう作品ばかりです。

 

 「黒いオルフェ」も肩を並べるくらい人気が集まっても良い作品と感じるのに残念な気がします。

 

 最もタイミングが悪いのは『刑事』の主題歌「死ぬほど愛して」(♪アモーレ×3 アモーレミオ)がボーカル曲だった事です。

 

 映画からヒットする作品のほとんどは楽団の演奏曲なのに、なぜこのタイミングでボーカル曲で主題歌が製作されたのか・・・。

 

 「黒いオルフェ」はボーカル曲と思っていますが、「死ぬほど愛して」のインパクトには敵いません・・・。

 

 曲がヒットするには、作品の良さだけではなくタイミングも重要な要素と感じてしまいます。

 

 

曲情報

 発売元:日本グラモフォン株式会社

 品番:DP-1151

 

 東和映画提供「黒いオルフェ」主題曲

 

 A面

  「黒人オルフェ」

 

 B面

  「悲しみよさようなら」

 

 

参考資料

 「黒人オルフェ」レコードジャケット

 『黒いオルフェ』Amazonプライム

 『ダンスと音楽』ダンスと音楽社

 『ヒットパレード黄金時代1955-1970』かまち潤 監修・著

「さいはての慕情」リックとランス(昭和37年)

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流行時期(いつ流行った?)

 リックとランス(Rick And Lance)さんの「さいはての慕情(Where the Four Winds Blow)」は、昭和37年(1962年)にヒットしました。

 

 月刊ミュジック社発刊の『ミュージック・マンスリー』に掲載されている「今月のベスト・セラーズ」によると、9月から12月にかけてヒットしています。

 

 9月の発売後、年末にかけて人気が高まっているようです。順位はそれほど高くありませんが、ロングセラーとなった作品と推測されます。

 

年月 順位
昭和37年09月 15位
昭和37年10月 19位
昭和37年11月 10位
昭和37年12月 10位

 

 


Where the Four Winds Blow

注)Rick & Lance - トピックの動画

 

 

アメリカではヒットしなかった曲

 「さいはての慕情」を初めて聴いた時に、「日本で人気を集めそうなメロディ」と感じました(^^;A。

 

 1960年代の洋楽ヒット曲には、アメリカで支持されなかった作品が日本で人気となるケースがあります。

 

 たまたま日本のレコード会社の方が作品を聴いて、「これは日本でヒットする可能性がある」と感じられた事で発売に至ったと思います。

 

 リックとランスさんにとっては、価値観の異なる国で支持された事は奇跡に近い出来事と感じます。

 

 当時の洋楽部門の方々が積極的に作品を探して発掘されていた事を感じます。

 

 「さいはての慕情」はコーラスの作品と思いますが、ブラザーズ・フォーさんの「グリーン・フィールズ」(1960年)のように洗練されていないと感じます。それが聴いている側にとって歌謡曲らしさを感じさせていると思います。

 

 一体、この差は何なのでしょう。

 

 

"日本人好み"とは何か?

 日本で受けそうと感じる洋楽。その理由がいまだよく分かっていません。邦楽でも洋楽でも基本的に"主張が強い表現が受け入れられる事は稀"と感じています。

 

 「さいはての慕情」は主張を感じる事がありません。低い音域で歌われ続ける点が気になります。ヒットしたいなら1回聴くだけでインパクトを与えるフレーズが用いられても良いと思うのですが、そういった主張はありません。

 

 逆に、当時人気を集めていた洋楽の日本語カバー曲には長調でテンポも速く覚えやすい作品が目立ちます。

 

 「さいはての慕情」は真逆の音楽表現ですね・・・(^^;A。この作品も日本語カバーされましたが、音域の低さを考慮されたようで伊藤アイコさん盤が人気となっているようです。

 

 

 主張が控えめな曲調の作品を聴いていると、なぜか"こちらから耳を傾けて聴こうとする心理"が働き始めるように感じます。

 

 それは洋楽でも邦楽でも関係なく、"関心が無くても巷で耳にしているうちに気になってくる心理"に通じていると思います。

 

 

 "何度か聞いているうちに記憶に残る曲"。「さいはての慕情」の場合、♪ツツツタツツの3連のスローロックのリズムだった事が、その理由のひとつと思います。(「グリーン・フィールズ」もイントロだけが3連ですね。)

 

 スローロックは、テンポが遅くリズムが分かりやすいという特徴があります。そしてディック・ジェイコブス楽団・合唱団さんの「月光のノクターン」(1961年)のように、歌謡曲のように感じるコーラス。

 

 

 ・・・そう考えると、当時のレコード会社の洋楽レーベルは"邦楽目線で海外のレコードを発掘していた"という事になりますね。

 

 その結果、日本独自の洋楽ヒットが多数登場する事になりますが、では「なぜ邦楽に近い音楽表現をしたレコードを、わざわざ洋楽盤から発掘していたのか?」という疑問が浮かびます。とても興味深いテーマです。

 

 

楽曲分析

 バンドプロデューサー5の分析では、「さいはての慕情」はAマイナー(イ短調)です。

 

 楽譜が見つかりませんでしたので、用いられている音階は分かりません。

 

 

曲情報

1962年 年間27位(洋楽)

 

 

レコード

 発売元:日本ビクター株式会社

 品番:JET-1120

 

 今、さすらいの旅路にうみ疲れ 何処行くか わが愛

 風騒ぐさいはてか、はたまた四つの風の吹くところ

 君が愛は消え去りて 今われ波立つ巌に涙す うつろなるわが魂は

 生命なき北の辺へさすらいぬ その果ては四つの風の吹くところ……………………

 

 

 A面

  「さいはての慕情」

  原題:WHERE THE FOUR WINDS BLOW

  演奏時間:2分17秒

 

 B面

  「グッド・バディー」

  原題:GOOD BUDDY

  演奏時間:2分35秒

 

 

参考資料

 「さいはての慕情」 レコードジャケット

 『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社

 「バンドプロデューサー5」

「霧の中の二人」マッシュマッカーン(昭和45年、昭和46年)

流行時期(いつ流行った?)

 マッシュマッカーンさんの「霧の中の二人」は、1970年から1971年にかけて、年をまたいでヒットしています。

 

 『レコードマンスリー』の月間ランキングによると、10月下旬に発売されたレコードは、11月から翌年2月にかけてヒットしています。

 

<『レコードマンスリー』洋楽・月間ランキング推移>

年月 順位
昭和45年11月 5位
昭和45年12月 3位
昭和46年01月 1位
昭和46年02月 3位
昭和46年03月 16位

 

 


www.youtube.com

注)ライセンス SME(Columbia の代理); BMI - Broadcast Music Inc., SOLAR Music Rights Management, Sony Music Publishing, CMRRA, LatinAutorPerf, UNIAO BRASILEIRA DE EDITORAS DE MUSICA - UBEM、その他 6 件の楽曲著作権管理団体の動画

 

 

インパクトのある"つかみのイントロ"

 日本では無名のマッシュマッカーンさんですが、「霧の中の二人」は人気に火が付く速さを感じます。

 

 おそらく、イントロが聴き手を曲の世界に引き込む魅力を備えているからだと感じます。

 

 翌年のルー・クリスティさんの「魔法」(1971年)も曲が始まった途端に夢中になれるタイプの作品と思います。

 

 ミッシェル・ポルナレフさんの「シェリーに口づけ」(1971年)にも近いものを感じます。

 

 男性ボーカルの作品で目立ちますね。当時この手法が流行していたのでしょうか。

 

 

冒頭のオルガン演奏をカットして発売?

 動画を探していて気づいたのですが、本当はこの曲にはオルガンのみの演奏が10秒ちょっと存在していたのですね。

 

 下記動画の音源が本当の「As The Years Go By」のようです。

 

 


www.youtube.com

注)MASHMAKHAN - トピックの動画

 

 

 言われてみれば納得します。たしかに「霧の中の二人」は始まり方が突然すぎて、なんとなく不自然な印象を持っていました。

 

 

 もしかして日本の洋楽レーベルは、わざと冒頭の演奏をカットして「霧の中の二人」として発売したのでしょうか。

 

 マッシュマッカーンさんには大変申し訳ありませんが、確かにオルガン前奏が残ったまま発売されていたとすれば、日本で人気を得る可能性は低かったのでは?と感じます。

 

 かなり実験的な試みの音楽表現と思います。

 

 ヒットチャートに登場する作品は、どちらかというと"難しい事を考えずに聴いていて楽しめる音楽"。突然曲調が変わってしまうとその時点で付いていけない気持ちが生まれます。

 

 

カットしたのは意図的か勘違いか・・・

 不思議な事に「霧の中の二人」の歌詞カードの曲紹介欄には、カットされたオルガンについての感想が書かれています。

 

 「オルガンのイントロは大好きだ。」で曲紹介が始まっています(>_<)。

 

 おそらく原盤を聴いて解説を書かれたのだと思いますが、意図的に消したのなら、曲紹介も訂正しておかないと・・・。

 

 もしかしたら原盤を作る担当者が前衛的な音楽表現を理解できずに、「別の曲が入っているじゃないか!」と勘違いしてカットした可能性も生まれてきます。

 

 可能性はかなり低いと思いますが、きちんとマッシュマッカーンさんに許可を得て実行されたのだろう、と気持ちを納得させておきます。

 

 

参考資料

 「霧の中の二人」レコードジャケット

 『レコードマンスリー』日本レコード振興株式会社

「シバの女王」レーモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラ(昭和44年、昭和48年)

2度ヒットしたロングセラー

 レーモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラさんの「シバの女王(La Reine de Saba)」は最初に昭和44年(1969年)にヒットしました。

 

 オリコンでは、HIT-1584とHIT-2007が合算で集計され、計100週以上売れ続けた超ロングセラーという記録が残っていますが、実際は品番違いで2回ヒットしています。

 

 ロングセラーなのでヒットの経緯をまとめました。

 

<「シバの女王」ヒットの記録>

年月 出来事
1967年9月 ミッシェル・ローランの「Ma reine de Saba」がフランスでランクイン
1968年12月 ポール・モーリア・グランド・オーケストラ盤が発売
1969年2月 HIT-1584盤が発売
1969年5月~ HIT-1584盤が日本でランクイン
1969年8月 ローランの「サバの女王(日本語)」発売
・・・ ・・・
1972年6月~ HIT-2007盤が日本で再びランクイン
1972年9月 ローランの「サバの女王(日本語)」がランクイン
・・・ ・・・
1973年6月 ローラン盤、ポール・モーリア・グランド・オーケストラ盤がランクイン
・・・ ・・・
1974年2月 グラシェラ・スサーナ『愛の音』がランクイン
1974年3月~ グラシェラ・スサーナ『アドロ、サバの女王』がランクイン

※ミッシェル・ローラン=ローラン。「シバの女王」を作曲された方です。

 

 

最初のヒットは1969年

 最初のヒットは1969年、品番HIT-1584です。

 

<『レコードマンスリー』洋楽のランキング推移>

年月 順位
昭和44年05月 23位
昭和44年06月 16位
昭和44年07月 17位
昭和44年08月 21位
昭和44年09月 17位
昭和44年10月 15位
昭和44年11月 21位

 

 


www.youtube.com

注)レイモン・ルフェーブル - トピックの動画

 

 

交響曲のイージー・リスニング

 195,60年代には、"楽団が演奏するシングル盤"がヒットしています。

 

 このシングル盤には2種類のタイプがあります。

 

 1つは、主旋律を奏でる楽器がボーカルのように主役となるサウンドです。アルパの「コーヒー・ルンバ」(1961年)やクラリネットの「小さな花」(1958年)、アルトサックスの「黒い傷あとのブルース」(1961年)が思いつきます。

 

 もう1つが、1つの楽器が目立つのではなく楽団全体で曲を奏でる作品です。イージー・リスニングと聞いてイメージする作品はこちらだと思います。

 

 たった数分の演奏で聴き手をコンサートホールでの演奏にいざなってくれるような「シバの女王」はこちらに属する音楽表現と思います。

 

 「魅惑のワルツ」(1957年)や「夏の日の恋」「太陽がいっぱい」(共に1960年)が思いつきます。

 

 こちらの音楽表現の方がスケールの大きさを感じます。やはり映画音楽が目立ちます。

 

 

人気再燃のきっかけは『ゴッド・ファーザー』主題曲のヒット?

 「シバの女王」は1972年から再び注目を集め始めロングセラーの道を歩み始めます。きっかけが3つあるように感じます。

 

 1つめは、1972年に『ゴッド・ファーザー』の主題曲がヒットした事です。オーケストラで演奏される愛のテーマが人気となり、過去にニーノ・ロータさんが作曲された「ロミオとジュリエット」(1969年)も再び人気を集めています。

 

 レコード会社は『ゴッド・ファーザー』をきっかけにオーケストラが演奏する作品のリバイバルを狙ったのかも知れません。

 

 1972年は日本で洋楽のセールスが低迷し始めた時期でLPではビートルズさんの赤盤青盤のように、過去の音源を収録した作品がヒットしています。

 

 

 2つめは、当時ドラマの曲に採用されたフランク・プゥルセルさんの「アドロ」(1973年)がヒットした事です。この時期に、ポール・モーリアさんの演奏盤やローランさんの日本語歌唱盤がランクインします。

 

 3つめの「シバの女王」のロングセラーに影響を与えたと思われるきっかけはグラシェラ・スサーナさんが日本語カバーした「サバの女王」が人気を集め始めた事です。

 

 グラシェラ・スサーナさんの名前が『レコードマンスリー』のランキングに初登場したのは1974年2月の『愛の音』です。「サバの女王」が収録されています。

 

 翌月には「アドロ」の日本語カバーも収録した『アドロ・サバの女王』がランクインし、このLPがロングセラーを記録します。

 

 (・・・余談ですが、グラシェラ・スサーナさんの「サバの女王」は何回聴いても「帰るのよりは」と聴こえます(^^;A)

 

 

 1972年以降にヒットしたHIT-2007盤の「シバの女王」は低い順位で売れ続けています。(目立つくらい流行した時期は無いと思いますが、スタンダード曲に成長していた時期と思います。)

 

 消費される音楽の世界で支持され続けた理由、作品の良さは聴くと理解できます。流行歌にはもったいないくらいの楽団演奏盤と思います。

 

 このようなぜいたくなシングルがヒットする事は、後にも先にもこの1曲だけと思っています。

 

 

参考資料

 「シバの女王」レコードジャケット

 『レコード・マンスリー』日本レコード振興株式会社

 『オリコンチャート・ブック アーティスト編全シングル作品』オリコン

 『オリコンチャートブック〈LP編(昭和45年‐平成1年)〉』オリコン

 『洋楽シングルカタログ ビクター・フィリップス編』

 「TOP-FRANCE」Webサイト

「怪僧ラスプーチン」ボニーM(昭和53年、昭和54年)

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流行時期(いつ流行った?)

 ボニーM(BONEY M)さんの「怪僧ラスプーチン(RASPUTIN)」は、1978年の11月からヒットし始めました。

 

 『レコードマンスリー』の月間ランキングによると、10月末に発売されたレコードは、11月から翌年の1月にかけてヒットしています。

 

<『レコードマンスリー』洋楽・月間ランキング推移>

年月 順位
昭和53年11月 3位
昭和53年12月 4位
昭和54年01月 2位
昭和54年02月 11位
昭和54年03月 15位
昭和54年04月 25位
昭和54年05月 23位

 

 

 1978年は、映画『サタデイ・ナイト・フィーバー』が公開され、後世に語り継がれるディスコサウンドのブームが起きた年です。

 

 このブームは1978年にずっと続いていたと推測されます。年末に発売された「怪僧ラスプーチン」という奇抜な邦題に、当時のブームの熱狂を感じます・・・(^^;A。

 

 


www.youtube.com

注)Boney M. 公式アーティストチャンネルの動画

 

 

リーダーは脇役で音楽が主役?

 レコードジャケットは"1本のロープにしがみつくメンバーの姿"でデザインされています。先頭に映っている方が上記動画のサムネイルの男性、ボビー・ファレルさんと思います。

 

 ボビー・ファレルさんはリーダーと思われますが、動画では歌唱よりダンスや演技が印象に残ります。(ほとんど歌っておられませんね(笑))。

 

 バンドやアイドルグループではメインボーカルに人気が集まりやすいですが、ボニーMさんの場合、事情が異なるのかも知れません。

 

 カリスマ性より音楽をみんなで楽しむ事を第一にする"盛り上げ役"のリーダーと感じます。

 

 

音楽性が語られないアーティスト?

 ボニーMさんは、同時期に活躍されたビー・ジーズさんやABBAさんに比べるとアーティスト性が重視される事が少ないと感じます。


 ビートルズさんやマイケル・ジャクソンさんのように、「作者が目指したのは何だろう?」と頂点を極めたアーティストは掘り下げて考察されがちですが、ボニーMさんはそういう視点で語られる事が少ない、という意味です。

 

 ボニーMさんの音楽は私でも理解できるくらい分かりやすいと思います。「主役は音楽、みんなで楽しもう!」という価値観を大切にされるアーティストと察します。

 

 "聴き手が楽しめる事を追及する姿勢"を感じますが、これが遠く離れた日本でも人気を集めた理由だと捉えています。

 

 

音楽は一人で聴くもの?みんなで楽しむもの?

 みなさんは音楽をどのように楽しまれておられますでしょうか。

 

 おそらく「複数の人と一緒に聴いて楽しむ」より、「イヤホンで一人で聴く」機会が多いと思います。

 

 "共有"ではなく"専有"で楽しむ。レコード化された音楽の宿命と思います。

 

 イヤホン世代の私にとって不思議に感じていますが、1970年代に登場したディスコ・サウンドは、”たくさんの人たちと一緒に楽しむ共有する音楽”として人気を得ていたように感じます。

 

 レコードは個人向けの音楽という価値観が定着した時代に、"大人数で一体感を得る事"を目的にしたディスコサウンドがブームとなった事は興味深いです。

 

 他のディスコサウンドの作品にも言える事ですが、このジャンルのアーティストで名前が思い浮かぶボニーMさんは、レコード音楽が表現しずらい共感より一体感を目指しておられたのだと解釈します。

 

 日本でも仕事歌や祝い歌のように、多人数で共有される民謡が古来から存在します。毎年聴こえて来る祭囃子も同じ性質を備えていると思います。

 

 もともと音楽は個人に向けて発信するのではなく皆で共有するもの、という根本的な事に気付かせてくれます。

 

 

ベースの存在感が目立つ70'sディスコ・サウンド

 1970年代のディスコ・サウンドには、"リズムではなくメロディを刻むベース音"も魅力的です。

 

 バンドでは「ベースはボーカルやドラムに比べると主張が控えめな役割」という話を経験者から聞いた事があります。「縁の下の力持ちの存在」という理由です。

 

 「怪僧ラスプーチン」でも感じますが、ディスコ・サウンドではベースが楽曲の主役に躍り出たように感じる作品も登場します。

 

 「おしゃれフリーク」(1979)の間奏のベースラインも主役に近い存在感がありますし、『サタディ・ナイト・フィーヴァー』のオープニングで流れる「ステイン・アライヴ」(1978)の冒頭でも感じる事が出来ます。

 

 

快楽を求め続けた象徴?

 ディスコ・サウンドは聴いていて本当に楽しいです。言い方が悪いかもしれませんが、"何も考えずに聴いていても楽しいサウンド"です。

 

 "聴き手の気分を高揚させる効果"を備えた音楽表現と捉えています。

 

 自分の心がどう働くのかは理解できていませんが、"曲を聴いて気分が盛り上がる"という事は、"快楽を刺激する要素を持っている"と感じます。

 

 ラスプーチンはロシア帝政末期に実在した人物で、世界史の教科書で太字では無かったと思いますが、"なぜか世間では有名な歴史上の人物"に該当します。

 

 教科書に載るような人類の発展に貢献していないものの、個人的な欲望を満たすために愚かな行いを選んだ人物として、からかわれながら後世に語り継がれている人物と解釈しています。

 

 ディスコサウンドで題材に選ばれた理由をなんとなく理解できます。

 

 

参考文献

 「怪僧ラスプーチン」レコードジャケット

 『レコードマンスリー』日本レコード振興株式会社

「ダーティ・ワーク」オースティン・マホーン(平成29年)

流行時期(いつ流行った?)

 オースティン・マホーンさんの「ダーティ・ワーク」は、平成29年(2017年)にヒットしました。

 

 mora月間ランキングによると、3月中旬に配信が開始された作品は翌月に最高順位を記録しています。

 

<mora月間ランキング(12年8月から)、配信認定の推移>

年月 順位 配信認定
平成29年03月 48位  
平成29年04月 4位  
平成29年05月 9位 シングルトラック、10万ダウンロード認定
平成29年06月 15位  
平成29年07月 23位  
平成29年08月 58位  
平成29年09月 35位  
平成29年10月 50位 シングルトラック、25万ダウンロード認定
平成29年11月 圏外  
平成29年12月 62位  
平成30年01月 81位  

 

 


www.youtube.com

注)Austin Mahone 公式アーティストチャンネルの動画

 

 

埋もれた洋楽を発掘するコメディアン

 「ダーティ・ワーク」が日本で有名になったきっかけは、コメディアンのブルゾンちえみ with Bさんが披露するネタのBGMに用いられた事しか考えられません。


 年間流行語大賞のトップテンにノミネートしたインパクトのある35億は、この世代の記憶に残り続けると思います。

 

 YouTubeには2年前の2015年7月下旬に動画が公開されていますが、日本では知られていない作品だったと思います。(色々調べていても、この曲がヒットした国の記録を見つけられません。ブルゾンちえみさんはよく発掘されたと思っています。)

 

 

 お笑い芸人のネタがきっかけで注目されるパターンには、現在ではキャンプで人気のヒロシさんがネタのBGMに採用した「ガラスの部屋」(1970年)が思い浮かびます。たしか2004年です。

 

 オリジナルではありませんが、志村けんさんと加藤茶さんのヒゲダンスのテーマ曲「「ヒゲ」のテーマ」(1980年)が元祖でしょうか。

 

 どの作品も選曲のセンスが優れていると思います。

 

 

 芸を披露される側の視点は「人を楽しませるためにどの洋楽を選べばよいか?」と、思案されたと思います。

 

 おかげで、テレビで見る側は「ネタが主役ではなく主役が曲で、曲に合わせてコメディアンが芸を披露している。」という印象を受けます。

 

 35億は流行語にもなりましたが、「ダーティ・ワーク」を知るきっかけにもなった。そして曲の良さが評価されてヒットした、と解釈しています。

 

 

洋楽は「新曲である事」を求められていない?

 1980年代ごろから、CMのBGMやドラマの主題歌に採用された過去の洋楽がヒットする現象が起き始めます。

 

 流行り廃りの音楽業界では最新が売りなのに「新曲じゃなくてもヒットする」という現象が起きている事は興味深いです。

 

 単純に、日本と海外で音楽性の差が開きすぎたからだと思います。

 

 

 「海外では支持を集めなかったのに日本でヒットした洋楽」というのも昔から存在します。

 

 コメディアンのような選曲眼を持つ方がレコード会社の洋楽レーベルにたくさんおられたら、日本の洋楽事情はもっと面白い事になりそう、と想像したりします。

 

 

参考資料

 「mora」Webサイト

 「you大樹」オリコン

「ベイビー feat.リュダクリス」ジャスティン・ビーバー(2010年)

いつ流行った?

 TOP50(フランスのオリコン的ヒットチャート)のランキングによると、ジャスティン・ビーバーさんの「ベイビー feat.リュダクリス」は2010年3月初めから8月末にかけて半年間近くベストテン入りしています。

 

 初登場でベストテン入りしていますが、最も人気が高まったのは5月下旬から6月上旬と思われます。

 

 日本では、

  1月末に配信されたPC配信(シングル)が2011年8月に10万ダウンロード、

  3月中旬に配信された着うたフル(R)が2011年1月に10万ダウンロード認定されています。

 

 日本でも若い世代で配信が主流となったと思いますが、パソコンよりケータイで着うたが勝っていた時代?かも知れません。

 

 


www.youtube.com

 

 

ティーンエイジャーの歌う曲

 フランスでは日本に比べて年少者が歌うヒット曲が少ない印象があります。若い歌手と言えば日本で言うアイドルを連想しますが、あまり支持を得にくいのかも知れません。

 

 2000年代、テレビ番組から誕生したグループのStar Academyさんが、一期生、二期生のような形でヒット曲に登場していましたが、"歌手より番組"のファンによって支えられていたのかも知れないと想像します。

 

 フランスのシングルチャートは基本的に"歌手より曲"の価値観が強いと思います。

 

 

 ジャスティン・ビーバーさんの歌声は幼さを感じます。その声で等身大の十代の恋心(初恋?)を歌っている事がこの作品の魅力です。

 

 ソロではなく、曲の後半にはリュダクリスさんのラップも加わって曲を盛り上げている事も印象的です。

 

 若手の歌手を支える形で誰かがフィーチャリングしたヒット曲・・・日本のアイドルの作品でも思い浮かびません。

 

 

 日本ならこの曲のヒットを機にファンが増えて、その後に発売する新曲もベストセラーになる流れを予感しますが、ジャスティン・ビーバーさんが次にベストテン入りするのは5年後の「What Do You Mean?」(2015年)です。

 

 日本で言うアイドルのような存在で支持を集めたのではないようです。

 

 

世界的なヒット曲になるのはなぜ?

 「ベイビー feat.リュダクリス」は様々な国で人気を集めています。公式アーティストチャンネルの動画は28億回再生されています(2022年9月3日現在)

 

 国境を超えてヒットした作品の再生回数が桁違いですね・・・。

 

<各国のヒット結果>

最高順位 週数
1位 2週 フランス
3位 4週 ノルウェー
3位 2週 イギリス
3位 1週 カナダ
3位 1週 オーストラリア
4位 2週 ニュージーランド
5位 1週 アメリカ
7位 1週 アイルランド
12位 1週 ベルギー
13位 1週 デンマーク
22位 1週 ドイツ
23位 1週 オランダ
25位 1週 スウェーデン
25位 1週 スイス
27位 1週 オーストリア
30位 1週 ポルトガル
34位 1週 スペイン

 

 英語圏のイギリスやカナダ、オーストラリアなどを差し置いて、なぜかフランスとノルウェーで人気を集めていますね。

 

 何か特別なきっかけがあったのだと推測されますが全く分かりません・・・(+_+)。

 

 反対に、愛情表現に長けているスペインやポルトガルでは、ティーンエイジャーの恋心は支持されなかったのかな?と感じたりします。

 

 

 インターネットが存在しない時代でも、「上を向いて歩こう」(1961年)のように国境を超えて世界的なヒット曲になった作品が存在すると思いますが、超えれるか超えれないかの違いは何だろう?と考えています。

 

 2012年にはカーリー・レイ・ジェプセンさんの「コール・ミー・メイビー」が似たような形で様々な国でヒットします。

 

 "メディアの強力な後押しがある事"は、多くの人の耳に届ける役割を果たしているだけで、受け手が支持するかどうかは別問題。

 

 後押しされた作品でもヒットするしないがありますので、理屈では説明できない何かがあるのだろう、とモヤモヤ考えています。

 

 

参考資料

 TOP50(http://www.chartsinfrance.net/

 「Baby by Justin Bieber and Ludacris - Music Charts (acharts.co)」Webサイト

「スキャットマン」スキャットマン・ジョン(平成7年)

『スキャットマンズ・ワールド』

流行時期(いつ流行った?)

 スキャットマン・ジョンさんの『スキャットマンズ・ワールド』は、平成7年(1995年)にヒットしました。

 

 オリコンアルバムランキングによると8月下旬に発売されたCDアルバムは、9月初めから11月中旬にかけてベストテン入りしています。

 

 代表曲の「スキャットマン(原題:Scatman (ski-ba-bop-ba-dop-bop))」は5曲目に収録されています。

 

 


www.youtube.com

注)Scatman John Official YouTube Channel 公式アーティストチャンネルの動画

 

 

アメリカではヒットせずヨーロッパでヒット

 「スキャットマン」はデビュー曲で日本では無名にも関わらず、CDアルバムが発売と同時にヒットしています。

 

 前評判の高さがうかがえます。CD化される以前に日本のどこかで「スキャットマン」が流れていたという事になります。どこで知名度を上げていたのは分かりません。FMラジオでしょうか。

 

 日本では後世語り継がれている雰囲気から、当時は"流行だった数あるユーロビートのうちの1曲"として受け止められたのだろうと思います。

 

 テレビ派の方は「♪プッチンパポペ」のプッチンプリンのCMが記憶に残っている方が多いと思います。私もこちらです。

 

 

 スキャットマン・ジョンさんはアメリカの方ですが、本国ではヒットしなかったようです。1995年のビルボード年間ランキング上位100曲にはノミネートしていません。

 

 歌詞カードの解説によるとヨーロッパで大人気となった作品で、最初に反響があったのはドイツのようです。

 

 確かにドイツでは1995年3月初めから5月末にかけてベストテン入りしています(Offizielle Deutsche Charts - Offizielle Deutsche Charts (offiziellecharts.de))。

 

 (ちなみにフランスでは、5月初めから8月末にかけてヒットしています。)

 

 上記公式動画のコメントをGoogle翻訳したとき、ポルトガルとスペインの方のコメントが多いように感じます。2国でいつごろ流行ったのか分かりませんが、数十年経っても記憶に残るくらい大切な作品となっているのだろうと感じます。

 

 もしヒットした国のランキングをすべて確認出来れば、どのようにして「スキャットマン」が支持されていったのか?を視覚化できて面白そうです。

 

 

 

日本ではサウンドで支持された?

 アメリカではヒットせず、英語圏以外の国から人気を集め始めた経緯は興味深いです。

 

 英語圏のイギリスやオーストラリアでもヒットしていますが、おそらくこの曲が支持された理由は、当時人気だったハウスやテクノを取り入れたサウンドと思います。

 

 このジャンルの作品はテンポが早めにも関わらず、50代のスキャットマン・ジョンさんは最後までスピード感を保ち続けて歌唱されます。

 

 年齢を考慮すると「小休止のフレーズをはさんでも良いのに・・・」と思いますが、あえて聴き手に「失速している」という印象を与えない判断をされたのだと思います。

 

 

 印象に残るのは♪ピーパッパパラッポですが、すごいと感じるのは冒頭の真似できないスキャットです。普通の人なら噛んでしまったり、付いていけなかったりすると思います。

 

 スキャットマン・ジョンさんは吃音症で子供の頃から健常者にからかわれる事で悩まされ続けていたと解説がありますが、日本で支持されたのは「普通に聴いていて楽しい!」と感じる音楽だったからだと感じます。

 

 そのエピソードを知ると、コンプレックスと向き合われたからこの曲が誕生したのかとか、歌詞の「スキャットマンが出来るなら君も出来る」というフレーズも励ましの想いが込められていると感じる事ができます。

 

 後世に「スキャットマン」に似たヒット曲は登場していないため、今聴いても色あせない個性を備えていると感じます。

 

 

曲情報

 発売元:BMGビクター株式会社

 品番:BVCP-859

 

  「スキャットマン」

  原題:Scatman (ski-ba-bop-ba-dop-bop)

  作詞・作曲:John Larkin/Antonio Nunzio Catania

 

 『スキャットマンズ・ワールド』5曲目収録

 

 帯の文章:びぃ~・ばっぱっ・ぱらっぽ~♪

      又、ハマっちゃいそう!これが謎の伊達男

      スキャットマン・ジョンのテクノ・スキャットだ!

 

 

参考資料

 『スキャットマンズ・ワールド』CDジャケット

 「you大樹」オリコン

「涙の太陽」エミー・ジャクソンとスマッシュメン(昭和40年)

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流行時期(いつ流行った?)

 エミー・ジャクソンとスマッシュメンさんの「涙の太陽」は、昭和40年(1965年)にヒットしました。

 

 『ミュージックマンスリー』の"洋楽の月間ランキング"によると、2月に発売されたレコードは、6月~9月にかけてヒットしています。

 

 

年月 順位
昭和40年05月 13位
昭和40年06月 3位
昭和40年07月 1位
昭和40年08月 3位
昭和40年09月 3位
昭和40年10月 12位
昭和40年11月 19位

 

 


www.youtube.com

注)エミー・ジャクソン - トピックの動画

 

 

 

すぐにバレたであろう日本人製作の洋楽盤

 当時、洋楽で人気を集めていたのはビートルズさんとベンチャーズさんです。

 

 この2大アーティストは東芝音楽工業さんから発売されており、おかげで他社の洋楽部門の成績が相当落ち込んだようです。

 

 ビクターさんのようにエルヴィス・プレスリーさんのようなスター歌手を持たない日本コロムビアさんは、"日本人が製作した楽曲を洋楽として発売する"という奇策を実行されます。

 

 

 レコードの解説には、

"どうもこの頃のヒット・ソングはパッ!!としないな。なんか一つぐらい腹にこたえるような曲はないもんかな" 最近のヒット・ソング界は、あなたも私も大分ニツマっているようす。街を歩いていても、よくこんな言葉が耳にとびこんできます。 ちょっと見わたしてみても、アメリカのポピュラー界をリードしてきた既成のR&R。現在、日の出のいきおいにあるウェスト・コースト・サウンド。イタリアのカンツォーネ・・・・・・etc。 これらが日夜激しい争奪戦を演じているんですから大変なもの。これでは市場はまったくの混線状態です。 でも、悲観するのはまだ早すぎました。とにかく一度このレコードをお聞きになって下さい。ニツマリ解消をもたらすルーキー”エミー・ジャクソン”のデビュー・ヒット盤です。

 と書かれています。

 

 日本人が製作した事には触れていません。

 

 しかし、レコード盤に作詞者の湯川れい子さんを"R.H.Rivers"と表記しているものの、作曲者の中島安敏さんは"Y.Nakajima"と印字されています。

 

 なぜ湯川さんのようにセントラル・アイランドみたいにしなかったのでしょうか・・・(^^;A。

 

 レコードを購入された方は、「あれ?日本人が作ったの?」と一目瞭然だったと思います。

 

 

 『日本人が製作した楽曲を洋楽として発売する事例』には前例があります。日本グラモフォンさんが発売された「暗い港のブルース」(1963)は、早川博二さん作曲です。

 

 当時の音楽業界では「誰が作ろうと、洋楽レーベルから発売するもの=洋楽」という価値観が勝っており、特筆する程の奇策では無かったのかも知れません。

 

 

記録より記憶に残る日本語盤?

 当時は英語の歌詞でヒットしましたが、後世では"♪ギーラギーラ"で始まる日本語詞で歌い継がれていると感じます。

 

 おそらく1973年に発売された安西マリアさんの日本語カバー盤がきっかけと感じます。

 

 しかし、記録ではそれほど支持を集めていないようです。『レコード・マンスリー』の月間ランキングでは、7月に発売されたレコードは8月に16位を記録しています。

 

 

 この時期は"エレキインスト作品を若い女性が歌う"という企画が流行っていたようです。

 

 「太陽の彼方」も同じく日本語で"ノッテケノッテケ"として広まっていると思いますが、きっかけは1972年に発売されたゴールデン・ハーフさんの歌唱盤と思われます。

 

 どちらの作品もレコードは小ヒットにも関わらず、当時の世代の方々の記憶に残っている傾向を感じます。何かのTV番組で放送されて流行したのでしょうか?

 

 

ベンチャーズ歌謡の先駆け?

 日本コロムビアさんは「もし、ベンチャーズさんの音楽にボーカルを加えたら・・・」という発想で「涙の太陽」を企画されたと思います。

 

 この発想は大成功を収めましたが、東芝さんも「その発想面白いですね、頂きます。」と考えたらしく、「二人の銀座」(1966)、「北国の青い空」(1967)と、ベンチャーズさん作曲の歌謡曲を発売される事になります。

 

 もしかすると「涙の太陽」の成功は、後にベンチャーズ歌謡を誕生させるきっかけとなったのかも知れない、と感じたりもします。

 

 

曲情報

 発売元:日本コロムビア株式会社

 品番:LL-742-JC

 

 期待のニュー・!ヴォイス!

 

 A面

  「涙の太陽」

  原題:CRYING IN A STORM

  作詩:R.H.Rivers(湯川れい子)

  作曲:Y.Nakajima(中島安敏)

 

 

 B面

  「とどかぬ想い」

  原題:SUDDENLY I'M ALONE

  作詩:R.H.Rivers(湯川れい子)

  作曲:Y.Nakajima(中島安敏)

 

 

参考資料

 「涙の太陽」レコードジャケット

 『ミュージック・マンスリー』月刊ミュジック社

 『レコード・マンスリー』日本レコード振興株式会社

「フラッシュダンス~ホワット・ア・フィーリング」アイリーン・キャラ(昭和58年)

流行時期(いつ流行った?)

 アイリーン・キャラさんの「フラッシュダンス~ホワット・ア・フィーリング」は、昭和58年(1983年)にヒットしました。

 

 オリコンランキングによると、6月末に発売されたレコードは、8月から10月にかけてヒットしています。

 

 「洋楽はアルバムで」の価値観が一般的になった時代と推測されますが、シングル盤で首位を獲得されています。

 

 当時、この曲への人気が相当高かった事が窺えます。

 

 


www.youtube.com

注)UnidiscMusic 確認済みの動画

 

 

胸を打つ、情熱を注ぐ若者の姿

 「フラッシュダンス」は時代の空気感をパッケージした作品と感じます。同名映画で描かれた"夢を叶えるために若者が挑戦するエネルギー"も記憶に残ります。

 

 この曲は文字だけでは表せない、"若者のあふれる感情"が表現されています。

 

 なぜか分かりませんが、曲を聴いているとその情熱を感じる事ができます。聴いていると徐々に気持ちが高揚してきます。

 

 この曲の本質に気付いた方が、1983年10月から放送された『スチュワーデス物語』の主題歌に採用されています。麻倉未稀さんの日本語カバー盤です。

 

 

 冒頭の歌唱では「選んだ道は正しかったのか?」とか「夢を叶えることをできるだろうか?」という不安や孤独を抱いている心境を感じます。(歌詞カードには和訳が掲載されていないため、実際は何と歌っているのかは分かりません。個人的な感想です。)

 

 曲が進むにつれて「自信を持ち自分を信じて全力で立ち向かう姿」を連想できる歌唱に変化していきます。

 

 "迷いから解放される心境"を読み取れる事が、この曲をドラマチックにしているのだろうと感じます。歌っておられるアイリーン・キャラさんの表現力を感じます。

 

 作詩にはアイリーン・キャラさん自身も関わっており、歌い手が作品に入り込めるようにアシストされたキース・フォーシーさんに感謝です♪

 

 

秘めたエネルギーを開放する盛り上げ方

 「フラッシュダンス」を作曲されたジョルジオ・モロダーさんは、この時期の日本でシングル盤でのヒットを多く残されています。

 

 ブロンディさんの「コール・ミー」(1980)、リマールさんの「ネバーエンディングストーリーのテーマ」(1985)と、この作品です。

 

 ケニー・ロギンスさんの「デンジャー・ゾーン」が収録された『トップガン』(1986)はアルバムで人気を集めています。いずれも映画のために作られた音楽です。

 

 シングル盤でヒットした作品には、”聴いていると心が徐々に熱せられる感覚”を聴き手に与える特徴が共通して存在すると感じます。

 

 単純に表現すれば"歌い出しを控えめにする手法"であり、この年代に目立ち始めます。

 

 「聖母たちのララバイ」(1982)や「SWEET MEMORIES」(1983)などの女性バラードの作品で感じますが、このテクニックに"若者が訴えたいフィーリング"を加味させる事が出来るジョルジオ・モロダーさんは凄いと感じます。

 

 

「ブレイクダンス」はオリンピックの競技種目に

 『フラッシュダンス』はブレイクダンスを世の中に広めたきっかけの映画でもあります。

 

 2年後には風見しんごさんの「涙のtake a chance」(1985)でのパフォーマンスも話題となっています。(一世風靡セピアさんの「前略、道の上より」(1984)のヒットにも影響を与えたのでは?と想像しています。)

 

 

 2021年の東京五輪で新種目となったスケートボードに感動しました。(実際に競技を視聴するまでは「スポーツなの?」とか考えてました。本当に恥ずかしい・・・。)

 

 2024年のパリ五輪では、新種目にブレイキン(ブレイクダンス)が加わります。

 

 1980年代の若者によって生みだされたストリート・パフォーマンスの魅力がどのように表現されるのか楽しみです。

 

 得点で競えるルールが構築されたのでしょうか。若い世代が打ち込む姿を見れる事を楽しみにしています(^^)/♪

 

 

曲情報

 発売元:株式会社ポリスター

 品番:7S-92

 

 ★CIC配給パラマウント映画「フラッシュダンス」オリジナル・サウンドトラック盤

 

 A面

  「フラッシュダンス~ホワット・ア・フィーリング」

  原題:FLASHDANCE...WHAT A FEELING

  Music by Giorgio Moroder

  Lyrics by Keith Forsey / Irene Cara

  演奏時間:3分55秒

 

 

 B面

  「フラッシュダンス 愛のテーマ」

  英題:LOVE THEME FROM "FLASHDANCE"

  演奏:ヘレン・セント・ジョン

  演奏時間:3分27秒

 

 

参考資料

 「フラッシュダンス~ホワット・ア・フィーリング」レコードジャケット

 「you大樹」オリコン

 『オリコンチャート・ブック アーティスト編全シングル作品』オリコン

「ウシュカ・ダラ」アーサー・キット(昭和29年)

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流行時期(いつ流行った?)

 アーサー・キットさんの「ウシュカ・ダラ」は、昭和29年(1954年)にヒットしました。

 

 『ダンスと音楽』のトップレコード順位によると、7月から9月にかけて首位を獲得しています。

 

<『ダンスと音楽』SP盤売上ランキングの推移>

年月 順位
昭和29年06月 4位
昭和29年07月 1位
昭和29年08月 1位
昭和29年09月 1位
昭和29年10月 2位
昭和29年11月 4位
昭和29年12月 9位
昭和30年01月 15位

 

 

 


www.youtube.com

注)YouTube に使用を許可しているライセンス所持者 WMG(Cherry Red Records の代理); BMI - Broadcast Music Inc., SOLAR Music Rights Management, Sony ATV Publishing, CMRRA、その他 5 件の楽曲著作権管理団体

 

 

 現在では「ウスクダラ」というタイトルで知られる作品です。

 

 江利チエミさんが日本語カバー盤した「ウスクダラ(トルコ譚)」のタイトルが採用されたのだと思います。

 

(この曲の原題が「USKA DARA - A TURKISH TALE」のため、"トルコ譚"という副題が付いていますが省略されたようです。)

 

 この年に発売された、電蓄で再生できる4曲入りEP盤が9月に発売されています。

 

 

トルコ民謡・ウスクダラ

 耳にする機会の無い"ウスクダラ"というフレーズ。曲中のセリフではトルコにある小さな町の名前と紹介されています。

 

 トルコ語ではÜsküdar、Googleマップではユスキュダルと表記されています。イスタンブールの隣なんですね。

 

 

 トルコは、ヨーロッパ大陸とアジア大陸の間に位置し、南には中東諸国という地理のためか、ヒット曲の世界でも存在感があります。

 

 現代史では外交や戦争といった政治的な問題が目立たないため、アメリカも"純粋な異国情緒"をかき立てる作品として「ウシュカ・ダラ」を企画したのではないか?と想像しています。

 

 日本からも遠く離れた国ですので、似た感覚で作品が支持されたのだろう、と解釈しています。

 

 フランスでは、異文化の音楽が支持され始めた1998年にTarkanさんの「Şımarık 」がヒットしています。

 

 「ウシュカ・ダラ」、「Şımarık 」とどちらの作品でも、演歌・歌謡曲的な節回しが存在する事が印象的です。

 

 日本人なのでひいきしてしまいますが、どちらかというとアジアの音楽に感じます(^^;A。

 

 

1950年代のトルコ音楽ブーム

 トルコ語で歌われた民謡「ウシュカ・ダラ」。

 

 この曲だけのブームで終わったか?というとそうでもないみたいです。

 

 同年末にはフォア・ラッズさんやジョー ・フィンガーズ ・カーさんの「イスタンブール」がヒットしています。

 

 また、1957年にラルフ・マーテリー楽団さんの「シシュ・カバブ(串かつソング)」がヒットし、トルコ音楽への関心が薄れていない印象を受けます。

 

 

 日本では庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」(1978)がありますが、イメージ重視で音楽性は全く関係がありません。しかし、聴き手に"異国情緒を連想"させるという目的は達成できていると感じます。

 

 おそらく、1950年代のアメリカ人も似た気持ちで作品を支持していたのだろう、と推測しています。

 

 

 昨今の流行で比較すると、ルイス・フォンシさんの「デスパシート」(2017)がヒットして以降、カミラ・カベロさんの「ハバナ」(2018)や「セニョリータ」(2019)と、カリブ海の音楽が支持される現象に似ていると感じます。

 

 ロス・デル・リオさんの「恋のマカレナ」(1996)だけで収束しなかったスペイン語圏の音楽ブームです。

 

 

 自国が持たない音楽への関心が高まる時期、というのは定期的にやって来るのかな?と考えています。

 

 いつになるか分かりませんが、日本の音楽が世界的にヒットする日が再び来るのは現実的な気がしています♪

 

 

曲情報(EP盤)

 発売元:日本ビクター株式会社

 品番:EP-1027

 

 A面

  「ウシュカ・ダラ(トルコ語)」

  原題:USKA DARA - A TURKISH TALE

  「ウェディング・ベルが盗まれた(英語)」

  原題:SOMEBODY BAD STOLE DE WEDDING BELL

 

 B面

  「アンヘリート・ネグロス(スペイン語)」

  原題:ANGELITOUS NEGROS

  「ポルトガルの四月(佛語)」

  原題:AVRIL AU PORTUGAL

 

 

参考資料

 「ウシュカ・ダラ」レコードジャケット

 『ダンスと音楽』モダン・ダンス社

 『洋楽シングルカタログ RCA編』オールデイーズ

「呪われた夜」イーグルス(昭和50年)

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流行時期(いつ流行った?)

 イーグルスさんの「呪われた夜(ONE OF THESE NIGHTS)」は、昭和50年(1975年)にヒットしました。

 

 『レコードマンスリー』の月間ランキングによると、8月末に発売されたレコードは、翌月から11月にかけてヒットしています。

 

 

 

<『レコードマンスリー』洋楽・月間ランキング推移>

年月 順位
昭和50年08月 29位
昭和50年09月 11位
昭和50年10月 12位
昭和50年11月 11位
昭和50年12月 20位
昭和51年01月 20位

 

 

 


www.youtube.com

注)イーグルス - トピックの動画

 


 1970年代の日本では、洋楽シングル盤の人気が低迷しています。

 

 縮小した市場の洋楽シングル盤ランキングですので、上記のランキング推移は参考程度で受け止めて頂ければと思います。

 

 

日本でイーグルスの存在を示した曲?

 この作品を知るまで、イーグルスさんと言えば「ホテル・カリフォルニア」(1977)しか思いつきませんでした。

 

 全米では首位を獲得した「呪われた夜」ですが、日本では小規模のヒットに留まっています。

 

 しかし、2年後の「ホテル・カリフォルニア」のヒットにつながるくらい、イーグルスさんの知名度を上げた作品ではないか?と感じます。

 

 LP盤『呪われた夜』がシングル盤と共に人気を集め、『イーグルス・グレイテスト・ヒット1971~1975』もLPランキングに登場しています。

 

 「呪われた夜」は両方のLPに収録されています。

 

 

時代を先取り?形容しがたいサウンド

 理由は分かりませんが、冒頭に4度繰り返されるギターの響きを聴いただけで、名曲と予感させてくれる作品です♪

 

 テンポがゆったりとした作品である事や、短調である事などがなんとなく理解できるからでしょうか。導入部分がシンプルだと、気楽に聴ける作品と感じるからかも知れませんね。

 

 

 この作品で印象に残るのは、スローテンポな事と、サビになるとコーラスに変化する事です。

 

 伴奏にピアノの音色が聴こえて来るため、1950年代から続くロックンロールを継承していると私は感じています。ただ、何ロックと形容すれば良いのかは分かりません。ソフトロックでしょうか?

 

 ちなみに、歌詞カードの解説にはアメリカン・ロックと書かれています・・・。

 

 邦楽と洋楽の方向性がズレ始めた1970年代以降は、洋楽の魅力を的確に形容する日本語が作られていない事が窺えます。

 

 1970年代は、日本人が今まで聞いた事の無い"新しいサウンド"が次々に生まれた時代です。

 

 そして、その音楽を聴いた時に動かされる感情や音の響きを的確に描写する日本語は現在もなお、生み出されないまま続いていると感じます。

 

 「呪われた夜」がヒットした当時には存在しなかった言葉かも知れませんが、メロウが、この作品のサウンドを的確に表現した言葉と感じています。

 

 ビー・ジーズさんの「ステイン・アライヴ」のレコードジャケットに、"ソフト&メロウ"と印字されています。いつから用いられるようになった言葉か分かりませんが、時代を先取りしたサウンドと感じます。

 

 

違和感を覚える邦題

 仮にイーグルスさんを知らず、初めて「呪われた夜」というタイトルを見聞きしたとき、このようなサウンドであると気付く事が出来るでしょうか?

 

 私は想像力が無いので、初めて聴いた時はビックリしました。もっと聴き手を選ぶアーティスト性が前面に出た作品と思い込んでしまったからです。

 

 そのため、「作品の魅力を伝えきれていない邦題、誤った印象を与える邦題である」と感じました。

 

 レコード会社で邦題を決める際、相当悩まれた事と思います。「この曲は、単に原題をカナ表記すれば良いという扱いは出来ない」と考えられていた事も想像できます。

 

 

 私はこの曲にピッタリの邦題は思いつきませんが、「呪われた夜」はちょっと・・・と思います。

 

 忌み嫌われる「呪」を用いているせいか、前年にヒットした映画『エクソシスト』の主題曲「チューブラー・ベルズ」(1974)の邦題にした方が似合うのでは?と感じます・・・(^^A;。

 

 もし訳詞家としても活躍される岩谷時子さんや安井かずみさんが命名されておれば、いい感じの邦題を命名されていたのかな?と想像しています。

 

 

曲情報

 発売元:ワーナー・パイオニア株式会社

 品番:P-1395Y

 

 全米に炸裂するイーグルスの超ビッグ・ヒット登場!!

 

 A面

  「呪われた夜」

  原題:ONE OF THESE NIGHTS

  演奏時間:3分28秒

 

 

 B面

  「ヴィジョンズ」

  原題:VISIONS

  演奏時間:4分

 

 

参考資料

 「呪われた夜」レコードジャケット

 『レコード・マンスリー』日本レコード振興株式会社

 『オリコンチャート・ブック アーティスト編全シングル作品』オリコン

「愛のコリーダ」クインシー・ジョーンズ(昭和56年)

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流行時期(いつ流行った?)

 クインシー・ジョーンズさんの「愛のコリーダ」は、昭和56年(1981年)にヒットしました。

 

 4月に発売されたレコードは、6,7月に最高順位を記録しています。

 

<『レコード・マンスリー』月間ランキング推移>

年月 順位
昭和56年04月 8位
昭和56年05月 3位
昭和56年06月 2位
昭和56年07月 2位
昭和56年08月 4位
昭和56年09月 5位
昭和56年10月 7位

 

 


Ai No Corrida

注1)Quincy Jones 公式アーティストチャンネルの動画

注2)アルバム音源のようです。演奏時間がシングル盤より長いです。

 

 

 

なぜ日本語のタイトルなのか?

 どうしてクインシー・ジョーンズさんが、原題を「AI NO CORRIDA」としたのか?…その理由はレコードジャケットにも記載が無いため、謎でした。

 

 しかし、この作品はクインシー・ジョーンズさんのオリジナル曲ではなく、過去の作品をカバーしていた事がようやく分かりました。

 

 オリジナルは、Chas Jankelさんが前1980年に発表されたアルバムの収録曲です。

 

 Chas Jankelに関してインターネットで検索してもほとんど情報がありませんので、当時無名だった事や、その後功績を残せなかった事を想像してしまいます。

 

 

 ゼロから物を作る事の難しさは理解しているつもりですが、ここは、クインシー・ジョーンズさんの、"光る原石を発掘されるプロデューサーとしての目の付け所"を評価するべきなのかな?と考えます…。

 

 

 下の動画がオリジナル作品です。おそらくクインシー・ジョーンズさんも当時視聴していたと思われます♪

 

 イギリス人のChas Jankelさんが、日仏合作映画『愛のコリーダ』(1976年公開)に影響を受けていた、という事になりそうですね。

 

 


www.youtube.com

注)YouTube に使用を許可しているライセンス所持者 MRC(Tirk の代理); CMRRA, UNIAO BRASILEIRA DE EDITORAS DE MUSICA - UBEM, ASCAP, LatinAutorPerf, LatinAutor - PeerMusic, Sony ATV Publishing, LatinAutor - SonyATV, LatinAutor, BMI - Broadcast Music Inc., ARESA, BMG Rights Management (US), LLC、その他 5 件の楽曲著作権管理団体

 

 

フュージョンって何?

 「愛のコリーダ」はフュージョンに該当する作品と捉えています。日本では1970年代後半から広がり始めた音楽表現と思います。

 

 私は1960年代以前のジャズを基礎に、1970年代以降の電子楽器(シンセサイザー)を取り入れた作品をフュージョンと呼ぶ、という解釈をしています…(汗)。

 

 デジタル技術の進歩で誕生した楽器と融合しつつ、ジャズの雰囲気は損なわないサウンド。

 

 そのようなサウンドを実現するためには、たくさんの壁を乗り越えないといけないと考えています。

 

 "楽器"を"人間"に置き換えると、学校・会社といった組織で、"新しく入った方々"と"既存の方々"がうまく融合してより良く発展させる、というお話になりますので…(^^;A。

 

 

マイケル・ジャクソンさんの育ての親

 クインシー・ジョーンズさんの最大の功績は、マイケル・ジャクソンさんをプロデュースされた事と思っています。

 

 おそらくこの方がおられなければ、マイケル・ジャクソンさんがキング・オブ・ポップとなる可能性は低かったと考えています。(「AI NO CORRIDA」も、クインシー・ジョーンズさんがカバーしなければ無名で終わっていたと想像しています…。)

 

 「愛のコリーダ」をカバーされた1981年時点では、後世に伝説として語られる『スリラー』は発売されていませんが、すでに『オフ・ザ・ウォール』(1979)のプロデュースをされています。

 

 

 「この人は、こういう表現をすればもっと輝く事が出来る!」と、"他人の才能を見抜き、信頼関係を築いて育成できる能力"には、ただただ純粋な尊敬が生まれます。

 

 音楽業界では、クインシー・ジョーンズさんのようなプロデューサーの存在は、アイドル発掘の番組で用いられがちですが、とても器の大きい存在と感じています。

 

 日常生活でも、所属する組織(家族・学級・会社などなど)のなかで、師と仰げる方と出会いは存在しますね。

 

 歌も人も出会いで運命が変わっていくのかな?と感じています。

 

 

曲情報

 発売元:ビクター音楽産業株式会社

     アルファレコード株式会社

 品番:AMP-716

 

 躍動感溢れるキャッチーなサウンド、ほとばしる無限のエネルギー!よりファンキーに、ポップに、変容を重ねるクインシー・ジョーンズ三年振りのニュー・シングル登場!

 

 A面

  「愛のコリーダ」

  英題:AI NO CORRIDA

  演奏時間:4分12秒

 

 

 B面

  「ゼアーズ・ア・トレイン・リーヴィン」

  英題:THERE'S A TRAIN LEAVIN'

  演奏時間:4分56秒

 

 

  プロデュース:クインシー・ジョーンズ

 

 

参考資料

 「愛のコリーダ」レコードジャケット

 「you大樹」オリコン

 『レコード・マンスリー』日本レコード振興株式会社

 『オリコンチャート・ブック アーティスト編全シングル作品』オリコン

「裏切者のテーマ」オージェイズ(昭和47年)

f:id:hitchartjapan:20210217191034j:plain

流行時期(いつ流行った?)

 オージェイズ(O'JAYS)さんの「裏切者のテーマ(BACK STABBERS)」は、昭和47年(1972年)にヒットしました。

 

 『レコードマンスリー』の月間ランキングによると、9月下旬に発売されたレコードは、年末年始にかけてヒットしています。

 

<『レコードマンスリー』洋楽・月間ランキング推移>

年月 順位 (ECPA-41) 順位 (ECPB-269)
昭和47年10月 27位 -
昭和47年11月 9位 -
昭和47年12月 5位 -
昭和48年01月 5位 -
昭和48年02月 11位 -
昭和48年03月 19位 -
昭和48年04月 18位 -
昭和49年08月   24位

 

 

 1974年に、別品番のレコードがランクインしていますね(^^)/♪

 

 「ソウルといえばこの曲!」みたいな感じになっていたのでしょうか。

 

 


The O'Jays - Back Stabbers (Official Soul Train Video)

注)Philadelphia International Records確認済みの動画

 

 

 動画は、おそらく当時アメリカで放送されていた音楽番組と思われます。

 

 曲に合わせて踊る方々が映っておりますので、ダンスミュージックとして受け入れられたのだろうと思います。

 

 

日本でのソウル人気は今一つ?

 レコードには「これぞ72年のソウル!」というキャッチフレーズが印字されています。

 

 1960年代末にR&Bと定義されていた音楽ジャンルは、「裏切者のテーマ」がヒットした時期にはソウルと呼ばれるように変化したようです。

 

 R&Bとソウル。この2つのジャンルの違いは明確には分かりませんが、どちらも同義語として一般的に広まったように解釈しています。

 

 そして、ソウルミュージックは日本ではあまり人気が集まらなかったように感じます。

 

 

 1970年代以降、洋楽のシングル盤の売れ行きが落ち込み始めます。

 

 「裏切者のテーマ」も、上記ランキング推移ではヒットしたように感じてしまいますが、それほどヒットしていません。

 

 商圏が狭まった洋盤のみのランキングなので、洋楽ファンにとっては大ヒットという感覚だったと推測されます。

 

 邦盤と肩を並べるくらいヒットした洋盤には、カーペンターズさんや洋画のサウンド・トラック盤が目立ちます。

 

 ソウルミュージックの大きなヒット曲は見当たりません。

 

 

日本人がコピーできなかったのはリズム感?

 アメリカンポップスが全盛だった1960年代は、"メロディ重視"の作品が多かったと感じます。

 

 旋律を重視する日本と価値観が近かったため、和訳したカバー盤が企画される機会が多かったと思います。

 

 フォークとロックの新しい音楽表現も、日本風に解釈されてヒット曲に取り入れられる事に成功しました。

 

 …ところが、次に登場したR&B・ソウルは、同じ様に浸透する事はありませんでした。

 

 原因はリズムにあると想像しています。

 

 

拍をずらす"シンコペーション"

 1960年代以前のヒット曲は、洋邦関係なく、4拍子なら"1・2・3・4"と拍を理解できるシンプルさがあります。

 

 しかし、「裏切者のテーマ」はそうではありません。

 

 自分も楽譜を見て弾いてみようとしましたが、弾けませんでした…(>_<)。曲を聴きながら楽譜を見ても、「あれ?あれ?」ってなります。

 

 拍を意識するとメロディが入って来ない、メロディを意識すると拍を見失う、という感じです。

 

 原因は、音符を結ぶタイ記号が様々な箇所で登場するためです。

 

 "小節をまたぐタイ記号"が登場すると、肝心の"1・2・3・4の拍"を見失ってしまいます。(単に自分にリズム感が無いだけの話なのでしょうが…。)

 

 おそらくシンコペーションといわれる音楽技巧です。他のジャンルでも普通に存在しますが、R&B・ソウルでは特に重視される技巧、表現の基礎となるテクニックと思います。

 

 

 当時の日本ではフォークソングがブームですが、同じような感覚で、ソウルの音楽表現を解釈した、リズム感のある和風ソウルがヒットした記録は見当たりません。

 

 グループサウンズ出身の歌手なら歌えそうな気もしますし、作曲家はコピーできても肝心の歌手が歌えない、みたいななんらかの壁が存在していたのだろう、と思います。

 

 そして、ソウルのような"リズム重視の音楽"の登場が、日本の音楽が海外の流行と別の道を歩み始めるきっかけになった一因だろう、とぼんやり考えています。

 

 

曲情報

 発売元:CBS・ソニーレコード株式会社

 品番:ECPA-41

 

 これぞ72年のソウル!

 

 A面

  「裏切り者のテーマ」

  原題:BACK STABBERS

  演奏時間:3分5秒

 

 

 B面

  「サンシャイン」

  原題:SUNSHINE

  演奏時間:3分43秒

 

 

参考資料

 「裏切者のテーマ」レコードジャケット

 『レコード・マンスリー』日本レコード振興株式会社

 『オリコンチャート・ブック アーティスト編全シングル作品』オリコン

「自由」女子十二楽坊(平成15年)

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『Beautiful Energy』女子十二楽坊

流行時期(いつ流行った?)

 女子十二楽坊さんの『女子十二楽坊~Beautiful Energy~』は、平成15年(2003年)にヒットしました。

 

 オリコンアルバムランキングでは8月から11月にかけてベストテン入りしています。そして紅白効果で、翌年1月から2月中旬にかけて再びベストテン入りしています。

 

 当時テレビから頻繁に流れていたのは2曲目に収録されている「自由」です。女子十二楽坊さんの代表曲と感じます。

 

 


Freedom (Live)

注1)女子十二楽坊 - トピックの動画

注2)ライブ収録の音源のようです。 

 

 

突然登場した中国の民族音楽

 日本では近隣国のリアルタイムのヒット曲が流行る事が稀です。歴史を振り返っても自然と文化が伝来する事があってもいいはずですのに…(>_<)。

 

 陸続きのヨーロッパでは国をまたいでヒットする曲があるようですが、やはり島国は特殊な地理条件なのでしょう。

 

 中国のヒット曲というと、「何日君再来」「夜来香」しか思いつきませんが、これも戦時中に日本が満州国を建国した時期に製作された作品だったから知られる事になったように思います。

 

 戦前も戦後も情報が少ないため、ロシアと言えばロシア民謡、中国と言えば民族楽器の二胡の響きくらいのイメージしか持てません。

 

 

 2000年代に入ってから、韓国だけは国家プロジェクトのようにK-POPを売り出されています。

 

 日本のみならず欧米の市場にも参入していますが、自然に流行する形ではないと感じています。

 

 「釜山港へ帰れ」「最初から今まで」のように、韓国の伝統を感じるような音楽で売り出していたならば、とても共感できる事ですが…(^^;A。

 

 

現代風にアレンジされた民族音楽

 日本では、何の前触れもなく中国の民族楽器で演奏する女子十二楽坊さんが登場しました。

 

 ギター、キーボード、ベースと現代音楽で用いる楽器も交える楽団の演奏は今聴いても新しさを感じます。

 

 歌詞カードの巻末に用いた楽器が記載されていますが、プログラミングというのはシンセサイザーの事でしょうか。キーボードの方が兼任されていますね。

 

 

 情報が少ないため、"日本人がイメージする今風の中国音楽"と一致する音楽表現だったと感じます。

 

 そのため、気持ち的に抵抗なく受け入れやすかったのだろうと感じます。

 

 

いやし系ではない?

 1999年に坂本龍一さんの「energy flow(『ウラBTTB』)」、2000年に『image(イマージュ)』『~the most relaxing~ feel』がヒットしました。

 

 これらのヒーリングミュージックは癒し系と命名され、しばらく人気となりました。女子十二楽坊さんが登場した2003年には、ブームが落ち着いていたと思います。

 

 聴いていて元気をもらえる演奏ですが、どちらかと言うと、"めったに耳にしないワールドミュージックだった事"が最大のヒットの要因であると感じます。

 

 

 不思議なのは、「日本にやって来た中国音楽は、後にも先にもこのグループのみ」という点です。(アジア出身の歌手が日本人作曲の作品を歌われる事はよくありますが…。)

 

 女子十二楽坊さんの日本でのヒットをきっかけにして、韓国のように自国の音楽を売り出す積極性があっても良いのにと思いますが、そのようなそぶりが感じられません。

 

 何か理由があっての事でしょうが、個人的にはとても謎に感じています…。「巨大な市場があるから、別に開拓する必要が無い。」という考え方でしょうか(?_?)。

 

 

曲情報

 発売元:プラティア・エンタテインメント株式会社

 販売元:キングレコード株式会社

 品番:PYCE-1001

 

  「自由」

  作曲:作者不詳

  編曲:梁剣峰

 

 

 『Beautiful Energy』2曲目収録

 

 帯の文章:もう、癒されるだけでは元気になれない。

 

 女子十二楽坊の意志により、この商品の売り上げの一部は、SARS問題解決のための研究費用に寄付されます。 

 

 

参考資料

 『Beautiful Energy』CDジャケット

 「you大樹」オリコン