ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。誤字はちょっとずつ修正します。

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

「替え唄メドレー」嘉門達夫(平成3年)

平成3年にヒットした「替え唄メドレー」は異色の作品です。当時の人たちなら知っているであろう流行歌のメロディを引用し、必ずオチのある替え歌に歌詞を変えた作品です。曲が次々変わるので、音楽性は全くなく、笑いのための作品です。 流行する音楽に求め…

「ランバダ」カオマ(平成2年)

カオマさんの「ランバダ」は平成元年11月に発売されました。この曲の人気に火が付いたのは翌年になってからです。オリコンチャートでは、4か月後の翌年4、5月に上位にランクインしました。 平成のヒットチャートではかなり珍しくなった洋楽シングルのヒ…

「夢想花」円広志(昭和54年)

「夢想花」(むそうばな)は、昭和53年11月に発売されました。円広志(まどかひろし)さんのデビュー曲です。 翌年の1月から2月に、ベストテン入りするヒット曲となりました。 「夢想花」というタイトルではなく、曲中に何度も繰り返される“とんで”や“…

「ステイン・アライヴ」ビー・ジーズ(昭和53年)

昭和53年はディスコ・サウンドが大流行した年でした。映画『サタディ・ナイト・フィーヴァー』が公開された年で、この映画のヒットによって、数年前から注目を浴びていたディスコ・サウンドがたくさんの人たちに支持されるようになりました。 ディスコ・サ…

「19:00の街」野口五郎(昭和58年)

昭和58年のヒット曲「19:00の街」は野口五郎さんの作品です。19時の街(じゅうくじのまち)と読みます。 1月に発売されたレコードは、ベストテン入りはしておりませんが、2月末から4月末にかけてヒットしました。 テレビドラマ『誰かが私を愛してる』の…

「セレソ・ローサ」ペレス・プラード楽団(昭和30年)

『ダンスと音楽』に掲載されている昭和2、30年の洋楽ヒットチャートを眺めていると、「マンボ・なんとか」、「なんとか・マンボ」と名付けられた作品が数多く登場する時期がある事に気付きます。 ラテン音楽のひとつである“マンボ”が、当時、アメリカでか…

「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」荻野目洋子(昭和61年)

昭和60年前後に、“洋楽作品を日本語でカバーする流行”がありました。 こう表現すると、昭和30年代と同じ現象なので、「流行って周期的に繰り返すのかな?」と考えたりもします。 しかし実態は異なるように感じます。昭和60年代に日本語カバーされた作…

「スエーデンの城」レーモン・ル・セネシャル指揮の楽団(昭和39年)

昭和30年代の洋楽ヒットチャートには、映画館のスクリーンで流れた音楽が登場する事が頻繁にありました。 昭和39年にヒットした「スエーデンの城」も、当時日本で公開されたフランス映画の主題曲です。 日本で初めて売上ランキングの作成を試みた雑誌『…

「さのさ」江利チエミ(昭和34年)

江利チエミさんの「さのさ」は昭和33年に発売されました。「さのさ」はもともと、江戸時代中期に流行した端唄のひとつのようです。 このヒット曲は、なぜか昭和歌謡の歌詞本に掲載される事がほとんど無く、ジャズ歌手の江利チエミさんが、なぜ日本の音楽を…

「家へは帰れない」ザ・シャングリラス(昭和41年)

昭和3、40年代は、セリフが加えられた作品が多く登場したように感じます。間奏にセリフが挟まれる歌と言えば、つい演歌・歌謡曲を連想してしまいますが、洋楽でもたまに登場しました。 昭和41年にヒットしたザ・シャングリラさんの「家へは帰れない」は…

「島育ち」田端義夫(昭和38年)

歌謡曲では、地理的に日本の果ての街にいる人物が描かれる事があります。 知り合いのいない最果ての地に赴き、そこで打ち明けられる心情は悲しみが多いため、つい北国が思い浮かびますが、太平洋側の南国の作品も多いです。 昭和37年11月に発売され、翌…

「ノー・ノー・ノー」ザ・ヒューマン・ベインズ(昭和43年)

今回は、音楽ではなくデザインに偏ってしまう内容かも知れません。昭和43年頃のレコード業界に目に見える形で登場した、大変奇妙な流行である“サイケデリック”と呼ばれるジャンルについて取り上げます。 この流行は、レコードジャケットでの流行と捉えてい…

「恋のぼんちシート」ザ・ぼんち(昭和56年)

昭和50年代は、テレビから発信される娯楽が大いに流行した時代です。レコード業界では、“アイドル”という定義で、若者向けのジャンルを確立しましたが、テレビや雑誌等、他のメディアでも、発信する対象を若者に方向転換した時代だったのかも知れません。 …

「夢のカリフォルニア」ママス&パパス(昭和55年)

ママス&パパスさんの「夢のカリフォルニア」は、日本では2回ヒットした作品です。 ヒットチャートの記録では、1度目は、作品が発表されて日本でもレコードが発売された昭和40年代初め。 2度目にヒットしたのは、なぜか十数年後の昭和50年代半ばです…

「帰らざる日のために」いずみたくシンガーズ(昭和49年)

流行時期(いつ流行った?) いずみたくシンガーズさんの「帰らざる日のために」は、昭和49年(1974年)にヒットしました。 TVドラマ『われら青春!』の主題歌です。(中村雅俊さんの「ふれあい」が挿入歌なんですね。名作ドラマだったのだろうと想像…

「クレイジー・ラヴ」ポール・アンカ(昭和33年)

昭和33年(1958年)の洋楽ヒットチャートを眺めていると、この年の流行がうかがえるランキング推移に気づく事ができます。 1つは、この年に登場したポール・アンカさんの活躍 2つは、同じくベルト・ケンプフェルト楽団さんの活躍 3つめは、『戦場に…

「盆帰り」中村雅俊(昭和51年)

「盆帰り」は昭和51年5月に発売され、翌月の6月から8月にかけてヒットしました。 流行のピークは7月上旬ですが、それ以降も長期間にわたって上位にランクインした息の長い作品です。ちょうど歌の主題になっている季節にもランクインし続けていました。…

「ふたりの天使」演奏:サン・プルー楽団、歌:ダニエル・リカーリ(昭和45年)

魅惑的な女性が登場する際や、官能的なシーンに流れるBGMとして多用される印象がある「ふたりの天使」は、多くの人がご存知の作品と思います。 スキャットが印象的なこのレコードは、昭和45年6月に発売され、8月から9月にかけてヒットしました。 テレビでは…

「硝子坂」高田みづえ(昭和52年)

「硝子坂」は昭和52年にヒットしました。1970年代後半、テレビのオーディション番組『君こそスターだ!』をきっかけに歌手となられた高田みづえさんのデビュー曲です。テイチクレコードのレーベル、ユニオンレコードから発売されました。 レコードは1977年3…

「ダイアモンド・ヘッド」ベンチャーズ(昭和40年)

昭和39年にヒットチャートに姿を現した、エレキギターが主体の器楽演奏であるサーフィン・サウンドは、ベンチャーズさんの活躍によって、ひとつのジャンルを形成する大規模な流行となりました。 昭和40年1月に来日公演をされたベンチャーズさんですが、…

「さらばハイセイコー」増沢末夫(昭和50年)

競馬界で人気を得た競走馬が、その世界を超えて、競馬をしない人たちにも幅広くその名が知れ渡る事があります。流行歌の世界では縁が薄い分野ですが、当時、アイドル的な存在だった競走馬をテーマにした「さらばハイセイコー」がヒットしました。 歌われてい…

「レッド・リヴァー・ロック」ジョニーとハリケーンズ(昭和35年)

日本でロックン・ロールが広く知れ渡ったのは、昭和31年にエルヴィス・プレスリーさんの「ハート・ブレーク・ホテル」が登場してからです。 『ダンスと音楽』のランキングには、昭和30年にビル・ヘイリーと彼のコメッツさんの「ロック・アラウンド・ザ・…

「バス・ストップ」平浩二(昭和47年)

「バス・ストップ」はテイチクレコードさんから発売された歌謡曲です。 ビクターさんやコロムビアさんと、戦前から営業されているレコード会社では、曲のジャンルをタイトルの上やレコードに記載する風習がありましたが、テイチクさんもこの作品を歌謡曲とし…

「霧のロンドン」ジョー・スタッフォード(昭和32年)

『ダンスと音楽』のヒットチャートによると、ジョー・スタッフォードさんの「霧のロンドン」は、日本では昭和32年(1957年)にヒットしました。SP盤のランキングでは、4月から6月にかけて2位を記録しています。 『ダンスと音楽』SP盤ランキング推移 集…

「同棲時代」大信田礼子[ナレーター:阿井喬子](昭和48年)

流行時期(いつ流行った?) 大信田礼子(おおしだれいこ)さんの「同棲時代」は、昭和48年(1973年)にヒットしました。 2月下旬に発売されたレコードは4月に最高順位を記録しています。 <『レコードマンスリー』月間ランキング推移> 年月 順位 …

日本で最も支持されたブラス・ロックのシングル盤「黒い炎」チェイス(昭和46年)

昭和40年代前後、ビートルズさんの登場をきっかけにして、日本でも、若い世代がバンドを組み、オリジナルの作品を吹き込める時代に変わっていきました。 昭和30年代のエルヴィス・プレスリーさんが登場した頃は、日本の音楽業界は若者に対して、商品化す…

オリコンチャート第1回の1位曲「ラブユー東京」黒沢明とロス・プリモス(昭和42年)

オリコンチャートの第1回のランキングで首位となったのは、黒沢明とロス・プリモスさんの「ラブユー東京」です。 昭和43年1月4日付の週間ランキングで、その後、3週連続で1位となりました。 1967年に行われていた試験チャートでも数週間1位を記録してお…

南米ベネズエラの民族楽器の響き「コーヒー・ルンバ」ウーゴ・ブランコとそのアルパ・ヴィアヘラ(昭和36年)

昭和36年(1961年)に流行した「コーヒー・ルンバ」は、海外の作品です。 オリジナルは「MOLIENDO CAFE」と言う名前で、パラグアイの民族楽器であるアルパの一種で演奏される作品です。 レコードジャケットの解説によると、従来のハープより小型で、持ち運び…

戦後初のミリオンセラー?「王将」村田英雄(昭和37年)

昭和43年(1968年)1月4日から始まったオリコンチャート。初のミリオンセラーは「帰って来たヨッパライ」(1968)です。 1960年代はオリコンのヒットチャートが存在しないため、レコードがどれくらいの枚数を売り上げたのかを把握する事はできません。 しか…

イギリス生まれの曇ったサウンド「ふたりのシーズン」ザ・ゾンビーズ(昭和44年)

流行時期(いつ流行った?) ザ・ゾンビーズさんの「ふたりのシーズン」は、昭和44年(1969年)にヒットしました。 3月下旬に発売されたレコードは6月に最高順位を記録しています。 <『レコードマンスリー』洋楽月間ランキング推移> 年月 順位 昭…